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東京都多摩地区

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【東京都多摩地区】渡辺正行氏講演会報告

初春の候、穏やかな晴れの日の1月20日(土)、東京都父母会連絡協議会主催による渡辺正行さんの講演会が、明治大学アカデミーホールにて行われました。明治大学OBで「コント赤信号」のリーダーである渡辺さんは、「明大魂」をテーマとした講演の中で、明治の落語研究会に入り人生が大きく変わったこと、芸能界での苦労と挫折から学んだこと、趣味の剣道を通じて学んだ事などを熱く語りました。

渡辺さんは1956年生まれ、千葉県夷隅郡(現、いすみ市)出身。中学、高校時代は剣道に打ち込み、中学では郡の大会で2位になって県大会に出場、高校では県大会6位で関東大会に出場しました。
関東大会が終わって高3の2学期から受験勉強を開始。11月から2月にかけては1日20時間の猛勉強で、見事、明治の経営学部経営学科に合格しました。
入学して落語研究会の門を叩いたのは「楽しいことが好きだったから」。そこで当時3年生の立川志の輔さんや同学年の小宮孝泰さん(小宮くん)らと巡り合いました。当時のことを渡辺さんは「人生のターニングポイントは明治大学に入学できたこと。明治に入っていなければ今の自分はなかった」と振り返ります。
最終学年となって進路を決める時、2学年先輩の志の輔さんが役者を目指していたことから、意を決して小宮くんとともに劇団テアトル・エコーに入所。そこで出会ったラサール石井さんと3人で「コント赤信号」を結成し、渋谷道頓堀劇場でコメディアンの杉兵助氏に弟子入りして男性客が集う劇場での幕間コントで修行に励みましたが、道のりは平たんではありませんでした。
時は漫才ブーム。B&Bやツービートなどがもてはやされる姿を劇場の楽屋で見ていた3人は限界を感じ、解散を決意しました。そんな時に(ゴムパッチンで知られる)ユートピアからライブを一緒にやらないかと誘われ、これが最後の舞台と思って出演すると、渡辺さん自らが書いた暴走族のコントが人気を博し、杉さんが「花王名人劇場」プロデューサーの澤田隆治氏に推薦。舞台を見に来た澤田さんの目に留まったことで花王名人劇場への出演の道が開け、そこから仕事が回ってくるようになったということです。
こうした経験を振り返って渡辺さん曰く、「人間、へこむときは大きくへこむほど大きく反発できて倍のパワーが出るんです」。
終始わたしたちを笑わせ続けてきた渡辺さんの口から急に出てきた「人生訓」に、客席の反応が一瞬途切れると、「いまわたしはいいことを言いました!」と笑いの再起動ボタンをクリック。「チャンスに巡り合って頑張っているうちに、俺たちひょうきん族にも出られるようになりました。一歩ずつ前へ前へ。これが明大魂です!」と芸能界での話を締めくくりました。

後半は剣道の話。芸能活動の中で剣道の腕を振るう機会があることから、荒川区の道場に通いシニアの市民大会にも出場するようになりました。3度目に出場した大会では決勝に進出したものの、相手はこの年シニアデビューしたばかりの45歳の強豪。あっという間に打ち負かされ、「お互いの年齢を考えたら、彼がいる限り優勝は無理」とへこみかけましたが、勝つか負けるかではなくとにかく自分の剣道をしようと心に誓って練習に励み、迎えた次の大会でも決勝で再戦。「自分の剣道に集中」して念願の優勝を果たすと、その半年後に出場した東京都シニア大会で準優勝、翌年にはねんりんピック全国大会に東京都代表として出場しました。
趣味の剣道で全国大会に出るまでに腕を上げた渡辺さんは、ほぼ同世代のわたしたちに向かってこう呼びかけました。「なにか趣味を持ってコツコツやることをお勧めします。そうすると、自分が成長するのがわかって面白い。これが明大魂です」。
拍手喝采。これで講演は修了かと思ったところで、「最後に渡辺の芸をお見せします」とやおらポケットからコーラと栓抜きを取り出すと、司会者を対戦相手に指名。あっというまに飲み干した渡辺さんが、「もういいですよ」と止めにかかったのを振り切って最後まで飲み切った司会者の見事な「明大魂」に、大きな拍手が送られました。

お笑いタレントとして長く第一線で活躍する渡辺さんのユーモアあふれるトークに会場は終始笑いと拍手に包まれ、1時間半はあっというまに過ぎていきました。
この日の講演会には総勢500名が参加、多摩地区からも119名の方に参加いただきました。みなさん笑顔で家路につかれたことと思います。寒い中、足をお運び頂きありがとうございました。