【埼玉県西部地区】「渡辺正行氏 講演会 テーマ 明大魂」の報告

【埼玉県西部地区】「渡辺正行氏 講演会 テーマ 明大魂」の報告

埼玉西部地区父母会活動のご理解ご協力を賜り、誠にありがとうございます。去る平成30年1月20日、アカデミーホールにて東京都父母会連絡協議会主催、渡辺正行氏の講演会が行われました。1000人収容のホールは、今か今かと待ち望む聴衆者で席が埋まりました。

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    渡辺正行氏
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    講演会を聴いた皆さん

 
親しみある満面の笑みを浮かべて颯爽と登場された明治大学OBの渡辺正行氏。最初の一言が「こんにちは、福山雅治です」、会場にドッと笑いが溢れ、一気に渡辺カラーに染まりました。冒頭に芸能人のエピソードの数々を話され、「明大魂とは、自らの手でつかみ取ること、その姿勢で臨み講演会で共に作っていきましょう」と挨拶をされました。
出身は千葉県いすみ群(現いすみ市)で田畑の中でスクスクと育ちました。中学時代、星飛雄馬を夢見て野球部に入部したものの、ウサギ跳びの毎日のため、10日間で退部しました。剣道部のコーチより「背が高いから」と剣道を勧められ入部しました。熱意溢れるコーチの指導の元、いすみ市の大会で個人戦2位から県大会へ進出しました。これは中学校初の成績でした。千葉県立大多喜高校に進学し、また剣道部に入部しました。関東大会にまで進出し、大多喜高校初の実績を上げました。
人生のターニングポイントがそれからありました。いよいよ受験。高校3年生の10月の模試の結果が平均16点。これを60点までに引き上げるため、友人から参考書を利用しての勉強を教わりました。得意科目は90点以上を、苦手科目は60点を目指す目標を立てました。11月からの3ヶ月間は毎日20時間の勉強、睡眠時間が4時間の日々でした。その結果、晴れて明治大学経営学部経営学科に入学し、落語研究会に席を置きました。先輩の竹内照雄氏(後に立川志の輔となる)と出会い、高座名”紫紺亭志い朝”を4代目三宅裕司氏、5代目立川志の輔から6代目渡辺氏が引き継ぎました。劇団養成所に入り、明治大学落研の同期の小宮孝泰氏と早稲田大学生のラサール石井氏とトリオを組みました。
「アニキ~」「待たせたなぁ!」の名台詞で一世風靡した『コント赤信号』の誕生です。ここに至るまで渡辺氏は将来を考え、技を身に付ける為にパントマイム、ジャズ、声楽等の習い事をし、夜はバイトをする日々を送っていました。文化祭で披露すると大いに笑いが取れ『僕たちは天才か』と思ったが、劇場で披露すると笑いが取れなかった。コント赤信号は何百回も練習をしました。

これらを通して学んだこと、
名言①「へこむときは大きくへこむ、すると倍のパワーが生じる」

「解散だ」「もうだめだ」まで気持ちが落ちこむと『やるしかない』と開きなおる。そうすると力が出てくる。
仕事が入るようになってからは180度、態度を変えたと言います。早く集合する、発声練習をする、礼儀正しい挨拶、そして反省会。コントの練習は22時から朝の4時までして睡眠時間を削っていました。

名言②「周囲を変えるのではなく、自分が変わると周囲が変わる」

「よろしくお願いします。勉強させてもらいます。」と謙虚な姿勢で臨めば、いろいろな人からアドバイスがもらえる

名言③「一歩前進、一歩前進、これが明大魂」

今は、剣道を習い始め荒川区民大会を経て、東京都シニア大会、ねんりんピック剣道競技部内で都の代表として出場、1日5分のピアノの練習から1年で1曲をマスターされました。「一歩一歩成長する自分を見るのが面白い」、このことから「皆さんのお子さんは成長し、明治大学を卒業していきます。皆さんも新しいことにチャレンジしましょう」の一言を頂きました。

その後はコーラ早飲みの実演とコツ、多くの質問にも応えて頂きました。熱弁していただいた渡辺氏に拍手喝采が起こり、幕が下りました。

渡辺氏は全てにおいて計画的に根気よく努力される、そして交友関係を大切にされる人間味ある方と感じました。明治大学OBの方が社会でご活躍されていることに誇りを感じました。

貴重な講演会に参加する機会をいただき、東京都父母会連絡協議会の皆さまにお礼申し上げます。

埼玉県西部地区父母会は、より多くの会員の皆さまと一緒に明治大学と明大生を心から応援していきます!

副会長 中島恭子