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第100回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会応援会のご報告

記念すべき第100回箱根駅伝予選会(※)は、10月14日(土)、東京立川市の陸上自衛隊立川駐屯地をスタートし、国営昭和記念公園にゴールするハーフマラソン(21.0975㎞)のコースで行われました。

(※)第100回箱根駅伝予選会
● 競技方法
全選手がハーフマラソン(21.0975㎞)を一斉スタート。各校10~14人の登録選手の中から10~12人が出場し、上位10人の合計タイムで争う。留学生は登録2人以内、出場1人以内。例年より3増の上位13校が本大会出場権を獲得。
● 出場資格
100回記念大会のため、例年の「関東学生陸上競技連盟男子登録者」から「日本学生陸上競技連合男子登録者」に広がり、全国の大学が参加可能。22年1月1日~23年10月1日の有効期間内に10000m34分以内の公式記録を有することが必要。
● 関東学生連合
今大会では編成されない。

予選会コース(箱根駅伝公式HPより)

本予選会では、4年ぶりにコロナ禍前の声出しによる通常応援となり、東京都西部地区父母会からは27名(卒業した先輩を含めると30名)の皆さんにお集まりいただき、首都圏11地区、地方父母会の皆さんから成る強力な紫紺の応援部隊が立川に集結しました。

明治大学競走部は、今年8月から山本豪新監督が指揮を執ることになりました。
山本監督は、6月の全日本大学駅伝予選会結果の分析も踏まえ、「1回の練習で10分長く走る」ことを提案。各部員は監督を信じ練習に励み、夏場の月間走行距離が100㎞近く増えた選手もおり、確実に地力がアップしたなかで予選会に挑みました。

9時35分、号砲とともに史上最多57校665人の選手が一斉にスタート。明治大学の伝統とプライドを背負った12人の選ばれしランナーは、左側からは応援団(応援指導班、バトン・チアリーディング部、吹奏楽部)の応援を、右側からは父母会・校友会の大応援団の声援を受け、駐屯地のトラックを3周走り、立川市街地へ一気に走り抜けていきました。

応援団の皆さんの必死の応援
(左から)森下翔太選手、杉彩文海選手🄫明治大学
堀颯介選手🄫明治大学
吉川響選手🄫明治大学
児玉真輝選手🄫明治大学

明治大学は、上位集団を維持し、10㎞地点で2位、15㎞地点から首位に立ち、17.4㎞地点も首位を維持。各選手は予選会首位通過を予感させる素晴らしい走りを見せました。最終結果は、大東文化大学に1分1秒及ばなかったものの、見事予選会2位で、新春の本大会出場権を獲得しました。

チームトップの4年・児玉真輝選手はじめ、チーム上位10人が64分台以内という、高レベルかつ堅実な素晴らしい走りが結果に結びつきました。
新春の箱根駅伝(6年連続65回目の出場)では、シード権獲得はもちろん、選手たちが掲げている目標の8位を上回る順位も大いに期待できると感じました。

また、今回の予選会では、関東以外の11校の参加など、各校の様々なドラマもあり、大勢の観客が詰めかけ大変な賑わいの中、幕を閉じました。
今から、本大会が楽しみです。また、皆さんで明治大学の健闘を祈り、応援しましょう!

出典:明治大学ホームページより🄫明治大学
東京都西部地区父母会の応援メンバー

◆箱根駅伝予選会・雑学
昭和30年の第31回大会までは、希望する全校が予選会に参加し、上位15校が本選に出場できるという規定でしたが、この年までは参加校が15校以下だったため、予選は行われず、全校が本選に出場していました。
しかし、昭和31年の第32回大会は、出場限度とされた15校を上回る19校がエントリーしたため、初めて落選校が4校出ました。実はこの第32回予選会で明治大学は競走部員が4名しかおらず、競走部の監督は、世田谷区八幡山の同じグラウンドで練習している“仲間”に協力を求めました。それがラグビー部の伝説的名将である北島忠治監督だったという事です。それを受け北島監督は、スタミナのあるラグビー部員9人を9月から箱根駅伝が終わるまで約4か月間、競走部に“レンタル移籍”させました。チームは予選会を15位で何とか通過。そして、ラグビー部員のうち6人はそのまま本大会に出場。結果は14位であったものの、ラグビー部員だけで挑んだ復路は13位という大健闘でした。この奇跡は、箱根駅伝の歴史の中でも特筆すべきエピソードとして語り継がれています。
 
◆明大競走部:1907年創部。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で「オリジナル4」と呼ばれます。優勝は7回を誇りますが、最後の優勝は1949年大会まで遡り、70年以上遠ざかっています。早大、慶大など他の伝統校と同様「陸上競技部」ではなく、「競走部」が正式名称となっています。